元禄忠臣蔵。赤穂浪士47名は、吉良屋敷への討ち入り前夜にそば屋桶屋十兵衛、又はうどん屋久兵衛の二階に勢揃いし、縁起をかついで「手打ち」そばやうどんを食べたといわれています。
ところが、江戸で蕎麦(切り)が一般化する享保(1716年〜徳川吉宗の治世)までは江戸には麺といえばうどんしかなかった、という有力な説があります。
赤穂浪士の討ち入りは元禄15年(1702年)。江戸で蕎麦が一般化する十数年前のことなのです。つまり義士達が食べたのはうどんであった、ということになります。
しかし、やはり忠臣蔵には蕎麦屋! 三波春夫の名作「俵星玄蕃」は、蕎麦なくして成立しません。♪雪を踏みしめサク、サク、サク、サク、サク、サク! 「先生」「おお、蕎麦屋かっ!」。何度聴いてもしびれます。そして蕎麦が食べたくなります。(笑)